アウトドアリーダーエクスペリエンスコース新設!

WEAの資格体系も、時代に合わせて変化しています。今回は最新の資格体系について、WEA理事会で事業部を担当している島崎晋亮理事からの特別投稿です。 昨年にWEAカリキュラムが改正され、新たにアウトドアリーダーエクスペリエンス(以下OLE)という認定コースが誕生しました。これまでのWEAコースでは、野外指導者を目指す方、もしくはすでに野外指導者として活躍されている方を対象としたコースのみとなっていましたが、このOLEコースは、これから野外指導に興味を持ち、将来プロフェッショナルを目指すかもしれないエントリーレベルを対象にしています。(参考:WEAJホームページ内『WEA認定プログラム』)  しかも、このコースは1泊2日の野外遠征を含めた3日間で開催でき、修了者にはWEAJ準会員の特典が1年間無料でついてくるという、まさに「WEA体験会」のような設計で、どなたでも受講可能です。ですので、これまで野外経験がない学生の方や、WEAのカリキュラムに興味があるけど何日も予定を調整するのは難しかったという方にピッタリのコースだと思います。 そして、このOLEコースの特徴として、COL(アウトドアリーダー資格)の方も開催することができます。これまでのWEAコースは、COE(アウトドアエデュケーター)が開催できるコースしかなく、COLの活躍の場が限定されていました。今後は、COLの方も独自でOLEコースを開催することができます。  OLEコースを開催するには、以下の要件のみです。   ①COL資格を持っていること   ②WEAJの団体会員であること   ③コースを開催する際にコース開催申請すること   ※団体会員になるには一般会員の会費に加えて10,000円払うだけです。  このOLEコースは、大学の野外実習などの授業はもちろんのこと、一般の方を対象とした週末を活用したイベントにも活用できそうですね。今後、たくさんの方にWEAカリキュラムに触れられる機会が訪れることに期待します。 WEA理事 島崎晋亮(株式会社信州アウトドアプロジェクト)

野外体験をジャーナリングする

“ジャーナリング(journaling)”という言葉は、あまり日本ではなじみがありませんが、日々の日記のように体験を書き留めておくものであり、WEAのコースでは必須であり、主要な学習ツールであると同時に、資格認定の評価においても大きな割合を占めます。NOLSやOBでも遠征中のジャーナルは用いられており、冒険教育のような非日常でインパクトの強い体験を理解し、活用するためには有効な教育方法として活用されています。ただ、どのように遠征に取り入れ、効果的に活用するかは、指導者次第ですので、その意義や、多様な活用方法を理解し、自分なりに取り入れていくことが大切です。 野外/冒険教育の成果については、ある程度認められていますが、実際にどの程度日常生活に役に立っているのかということは長年課題となっています。1990年頃から学習転移(transfer)について議論されるようになり、2000年代にはよく論文でも見かけましたが、最近また論文タイトルにtransfer~と付いているものをよく目にするようになってきました。最近の傾向としては、具体的な行動変容や学習目標のためにどう野外体験を活用するかという、より直接的に学習効果と結びつける内容がみられます。WEAに限らず多くの冒険教育においては、研究として学習転移の議論が行われるようになる前からジャーナリング(journaling)という体験について感じたことや考えたこと、理解したことを書き記すという手法が取り入れられていましたが、まさに体験の理解や学習転移に効果的な学習手法です。 WEAのコースでのジャーナリングの目的は、1) 参加者とインストラクターにとって、学習のための特別な記録であり、コースの達成目的に到達するプロセスを示すため、2) 参加者がどの程度自身の体験を分析できているかを示すため、3) 参加者が自身の体験の経年的な記録とするためと説明されています。1と2が資格認定の時の評価の対象として用いられます。ジャーナリングの実施方法は、インストラクターに任されていますが、7つの重要な要素が紹介されています。フィールドノート・クラスノート、意思決定の分析、リーダーシップスタイル分析、エクスペディションビヘイビアについての分析、環境倫理、安全についての分析、個人のふりかえりなどが主なトピックです(Martinら, 2006参照)。 それぞれをどのようにジャーナリングするかは、リーダーシップについては状況特性理論にあてはめ、構造的に書き留めるなど、ある程度の枠組みを用い、記入することで、書きやすく、また傾向などがわかりやすくなる方法や、いくつかの要点を挙げて記述する、ディベートのように、相反する意見を記述する、完全にオープンに自分の考えを記述するなど、多様は方法がインストラクターから指示されます。どういった内容をどういった方法で実施するかは、まさにティーチアブルモーメントやグラスホッパーメソッドです。それを全員で共有するのか、個人の記録とするのか、採点の対象としてインストラクターがみるのか、それもインストラクター次第です。どの方法が一番効果的というものではなく、何の目的のためにジャーナリングを行うか、またやり方を生徒に理解させ、練習をし、効果的に書けるようになって初めて効果的な学習方法として使えるようになります。 私自身が行った方法の中で効果的であると感じたのは、ある程度決まったトピックについては、毎日決まった方法で書き続けると傾向や成長が見えてきます。リーダーシップや、リスクの分析、グループダイナミクスやエクスペディションビヘイビアなどです。そして、自分自身を見つめ、その日の課題や自分の目標についてどう向き合ったかというような日記的な内容も書き続けるとよく見えてきます。そして、インストラクターが絶妙なタイミングで時々投げ込むトピック、例えばグループ内の士気が下がり気味の時に、グループノーム(グループでの約束事)をふりかえる、ヒヤリハット的なことがあった時の、最悪ケースシナリオ、グループの雰囲気がよくないときに実際に今あると思われる問題に対する解決方法の記述、翌日にビックチャレンジ(登頂など)ある日には、目標達成に向けた自分のプロセスを記述し、翌日に実際の体験と照らし合わせるなど、グループの状態、個人の成長に即した絶妙なトピックを提供し、またそれをどう活用するか、インストラクターのやり方次第でその効果は広がります。 また、あまりWEAでは行わなかったですが、アウトワードバウンドやNOLSのコースでは、グループジャーナルといって、交代でノートを回し、記録をするということもありました。それぞれの個性を発揮して、詩が入っていたり、替え歌のようなものを作成したり、絵が入っていたり、誰かが言った名言が入っていたり、グループのためにしてくれたナイスな行動が書いてあったり、最終日にはみんなの宝物が完成するようなワクワクする共同作業でした。 コース中のこういったジャーナリングも非常に効果的ですが、やはりしっかりと取り組みたいのは、コースの学びをまとめ、今後にどうつなげるか、まさに学習転移のためのジャーナリングです。遠征が終わりに近づいてくるころ、それぞれの頭の中には、帰ってからの生活を考え始めます。遠征が終わることに寂しさを感じたり、戻ってからの生活に不安を感じたり、一度帰ってからのことを考え始めると、まだ終わっていない遠征に対しての意識が薄れてくることもあります。今ここにという意識が薄れてしまうと、それまで築いてきたEBやグループダイナミクスが崩れ始めます。それまで築いてきた遠征ならではの文化、学びを最後まで保ち、そして遠征での学びを確実に日常生活へつなげるためには、指導者の繊細なファシリテーションが重要となります。また、頑張りやすい環境だから頑張れたプログラム中の環境がなくなると、戻ってからどう頑張ればよいかわからず、せっかくやる気を持って帰ったのに、余計苦しい思いをする傾向も多く報告されており(re-entry tensionと言われます)、どう戻るかについては丁寧に取り組む必要があります。NOLSの指導者であった人のエッセイが遠征の終わりに学習転移を考える上ですばらしいなと思い、よく活用していたので、紹介したいと思います。 以下、エッセイの翻訳 より過酷な環境への参入に向けたブリーフィング モーガン・ハイト NOLSのコース終わりには、いつも「持ち帰れないもの」の話になります。大きなザックは持ち帰れないし、少なくとも日常生活には必要ありません。配られた食料は持って帰れないし、持って帰っても友達は食べてくれません。山は持ち帰れません。この場所とのつながり、ここでの経験をすべて捨てなければならないようです。悔しいし、落ち込むこともあります。 このエッセイは、持ち帰ることができるものについての話です。持ち帰ることができるもの、そしてそれに取り組めば、残していかなければならないどんなものよりも大切なものになる可能性があるものです。 ここで、私たちが実際に行ってきたことを見てみましょう。私たちは整理整頓をしてきました。私たちは大きなザックで生活していたので、どこに何があるのかをほとんど知っていました。地図上の等高線をすべて数え、ゴミはすべて袋に入れるなど、徹底していました。今この瞬間、私たち全員が自分の雨具のありかを知っています。自分の身の回りのことは自分でする。私たちは、基本的なサバイバルの課題に触れてきました。私たちは、他の人たちと一緒にこの遠征という機会を得て、命を預け、親しくならない理由はないと思ってきました。私たちは、決して終わることのない物事に辛抱強く取り組み、心を砕いてきました。新しい道具や新しい技術を使いこなすことも学んできました。私たちは、今あるものを大切にしてきました。シンプルに生きてきました。 これらは、あなたが本当に持ち帰ることができるものです。これらは、私が「精神衛生」と呼んでいるもので、体をケアするのと同じように、心もケアしなければならないと考えています。ここでもう一度、ひとつずつ紹介します。 1. 整理整頓。山は厳しいから、整理整頓が必要です。しかし、戻ってからの世界はもっと複雑で、寒さや風や雨といった目に見えるものだけでなく、もっと過酷なものなのです。整理整頓ができれば、その嵐を乗り切ることができます。 2. 徹底していること。ここでの生活では、物事を中途半端にしておくと、どのような結果になるか、容易に理解できます。もどってからの世界は、中断、気晴らし、刺激が多いので、物事を中途半端にしてしまいがちです。気がつくと、進行中のプロジェクトの山に埋もれ、方向を見失ってしまいがちです。 3. 心構え。ここでの生活では、あらゆる天候に備える必要がありますが、もどってからの世界では、あらゆる事態に備える必要があります。ルールはなく、くだらないことやどうしようもないことが起こり、備えていた人だけがバランスを崩さないでいれるのです。 4. 自分自身を大切にすること、そして、ここでの生活よりももっと積極的に実践すること。混雑、騒音、スケジュールなど、環境的な害はさらに大きくなります。一人になって考える時間を持ちましょう。花、音楽、人、あるいはしっかり準備した夕食など、美しいもののそばにいることの癒しの力を過小評価してはいけません。 5. 基本に忠実であること。自炊を続け、寝る場所は意識して選ぶ。自分や友人の小さな怪我に気を配る。複雑な乗り物や道具の仕組みを学ぶ。戻ってからの世界の方がはるかに気が散って、基本から引き離れやすくなります。 6. 人と一緒にリスクを冒すことを継続しよう。あなた自身がどれだけ生き生きしていられるかは、他者との関係がどれだけ生き生きしているかによります。戻ってからの世界にはもっとたくさんの人がいるのに、なぜか親密度が低くなってしまうでしょう。誰かと車に乗るということは、その人に自分の命を預けるということであり、危険はまだ存在していることを忘れないでください。親しくなれない理由があるようなら、よく考えてみましょう。 7. 一見重要そうに見えるものでも、手放し、なくてもやっていけることを忘れないでください。ここでの生活は、熱いシャワーはなく、フォークと頭上の屋根があるだけです。しかし、いろいろなくてもやっていけます。最終的には、私たちみんな、なくてもやっていくのは、人であり、特に、ないということが、喜びをさまたげるわけではないことを覚えておきましょう。 8. 困難なことを我慢する。山のように具体的でなく、シナモンロールのようにすぐに報われるものでもないかもしれませんが、世界は辛抱する人に開けます。自分の我慢に対して何のサポートも得られないことも多いかもしれないけど、それは他のみんなの理解が追いついていないのかもしれません。 ...

Rules are for fools. PP語録~教育編~

アメリカの野外教育現場で非常に効果的だなと感じた手法が、言葉の引用です。英語ではquoteとか、単にsayingと言ったりしますが、野外教育に限らず、教室の授業や実技でもよく活用します。Outward Boundは特に使っていた印象がありますが、“今日の言葉”というようにブリーフィング、あるいはディブリーフで用いたり、そのテーマでジャーナリングを行ったり、レッスンの中で使うなど用途も広く、非常に効果的だと思います。Paul Petzoldtの言葉は、彼の哲学や人柄が現れ、独特かつ説得力もあり、彼のセンスの鋭さが伝わってきます。ティーチアブルモーメントを判断し、活用すると、この上なく効果的です。今回は教育関係の言葉をいくつか紹介します。ぜひ指導に取り入れていってください。 ① Rules are for fools.  “ルールはバカのためもの。” Judgement(判断)についての指導でよく使われる言葉です。イギリスの首相であったチャーチルの言葉を引用したものかもしれません。自分で考え、判断できない人のためにルールはあるのだということだそうです。 もちろんルールを完全に否定していたわけではなく、全員納得の上でのルール設定は、グループとして絶対的に大切にすべきものとして有効です。例えば、グループノーム(グループコントラクト)の設定や、インストラクターや組織としての絶対的なルールは必要です。ただ、何も考えずルールだから仕方ない、というのではなく、その意味を理解したうえで、実行することの必要性、逆に現状にそぐわないルールは考え直すよう問いかける意味があったようです。グループノームはグループダイナミクスによって変化して当然です。 有効なやり方だなと思ったのは、スタティックルールとダイナミックルールの設定です。スタティックとダイナミックとは、ロープの特性で、クライミングをやっている人は知っていると思いますが、スタティックはレスキューロープとして使われる伸び縮みしないロープです。ダイナミックロープは伸縮性があり、クライミングでのフォールの衝撃を吸収してくれますが、フォール時に伸びた分だけ下に下がるため、低い場所でのリスクが高く、消耗も早い。つまり絶対的に例外なく従うべきルールと、状況による判断の必要となるルールという違いです。スタティックルールは、暴力禁止、違法薬物の禁止などです。ダイナミックルールは、基本的には従うべきルールだけども、状況に応じて他を優先するかもしれないという意味です。“ギアや自然を大切にする”というルールは、命に係わる状況では、優先されないかもしれません。“グループ行動”なども、教育上、安全上優先されないこともあるかもしれません。やはりキーはjudgementです。 Educate, don’t legislate! “決まりを押し付けるのではなく、教育しろ!” この言葉もよく言われたそうですが、同様ですね。そういうものだから~と思考停止になることこそが危険であり、思考のトレーニングにウイルダネスは最適な場所です。 ② Don’t give me college answer, tell me why. “大学の回答みたいな答えはいらない、理由を説明しなさい。” 初期のWEAコースは、参加者ほとんどが大学教員だったそうです。その参加者に対して、この言葉は、相当なインパクトだったでしょうね。同様に“Words mean nothing.(言葉は何も意味がない)”ということもよく言ったそうです。わかった気にならず、しっかりと状況を理解し、深く考え、自分の言葉で説明する。核心を突く言葉です。私自身、大学教員として、学生に論理性やら、因果関係やらと大学らしい言葉を使いますが、要はこれですね。自戒のために、時々思い出すようにします(反省)。 ③ If you are not comfortable, you are not doing right. “もしあなたが心地よくなく感じているなら、それはあなたが正しいことをしていないということだ。” 私の一番のお気に入りです。どこか心地よくなく感じる感性は、とても大切な機能です。 ...

エクスペディションで食を通して命に向き合う

日本でもBlack Fridayという言葉が広まってきました。なんのセールだかわからないけど、年明けまで待たなくてもバーゲン始まってる?って感じでしょうか?ご存じの方も多いとは思いますが、アメリカでは11月第4週木曜日をThanksgiving Dayといい、家族が集い、収穫の恵みへ感謝する休暇です。七面鳥を焼き、ご馳走を作り、食事や家族での時間を満喫します。その翌日が金曜日であり、一気にクリスマス商戦がスタートすることから黒字へ転換する日としてBlack Fridayだそうです。Black Fridayは徐々に広まってきましたが、七面鳥の丸焼きはあまり広がりませんね。日本ではおめでたい食事の象徴として鯛が出てきたりしますが、やはりアメリカでめでたい席には七面鳥の丸焼きなど大きな肉の塊は欠かせないようです。肉をいただくということは、狩猟民族としての原点を感じるというような意味合いもあるのでしょうし、現在も狩り(Hunting)はメジャーな趣味であり、狩り自体をプログラム化しているアウトドアプログラムも多く存在します。私も野外実習中にライフルを持ってきているインストラクターに驚き、森の中で撃たせてもらったこともあります。文化伝承・アイデンティティの伝承のような意味合いもあるのでしょう。Wilderness Expeditionにおいてもそういったアメリカらしさは取り入れられていたようです。 Paul Petzoldtが始めた初期のWEAコースは、全くアウトドア経験のない人をエキスパートにする5週間だったようです。以前紹介したように、“Don’t move for the sake of moving. Group move from one teaching site to the next teaching site”. 「移動のために動くな、グループは学習サイトから次の学習サイトへ移動する」ことを継続しながら、多様な状況での判断・意思決定を行い、リーダーシップを磨き、個人としてまたグループとしての成長を遂げることを目指していましたが、長期遠征では様々な問題や衝突が生まれます。それこそが生きた教材だったようで、そんな時こそ真の人間の姿が出てくると、そこから目をそらさず、向き合え、“Let’s see the real people.”とよく言っていたようです。その人間性が特に露わになるのが、グループとしての食料が枯渇しつつあるときだったようです。 今のWildernessプログラムでは、バックパッキングのスタイルでは通常7-10日が自分で食料を運んで遠征を続けられる限度であると言われ、7-8日に1回食料補給をするルート設定を行います。カヤックやヨットなどのプログラムではもう少し長いスパンでの遠征も可能です。山をベースとしたプログラムではすべて自分で運ばなければならないので、1日当たり食料の重量としては1kg程度、さらに水や他の装備と合わせると自力で運ぶことのできる重量は1週間程度、かなり頑張って10日間となります。それでもやはり5日目を過ぎると、残っている食材は内容や量が偏り、いかに工夫し、メニューを考え、調理し、食事を楽しむかが課題です。みんな疲れもたまり、食欲が進まなかったり、あるいは食料不足でエネルギー不足だったり、グループの士気に大きな影響を与えます。そんな時は決まって“ポットラックパーティー。”余り食材を集め、使えそうな食材から試行錯誤して調理した料理を持ち寄り、楽しくおいしい食事会。そこで知恵や調理の工夫・スキルを学び、質素ながらもパーティー気分を味わい、心の充足も味わいます。残りの日々は、次の食料補給を心待ちにしながらひたすら残り食材を工夫してしのぎます。待ちに待った補給の日(re-supply day)に、食料袋に次の1週間分の食料を積み込み、再出発するときはずっしりと重たくなったザックに苦しみながらも食料を手に入れた安心感と次の挑戦への意欲を感じます。 1週間単位での補給でも不十分さを感じていたのに、5週間をどうやって凌いでいたのか、どうやって補給を行っていたのか、そこにはいろんなストーリーがあったようです。私が最も印象に残っているのは、Paulは遠征に山羊を連れて行っていたということです。5週間のうち、何度補給があったのかはわかりませんが、今よりは頻度は確実に少なかったでしょう。また、装備も大きく、重く、かさばっていたはずです。山羊は食料や装備の運搬に非常に役立ち、遠征のメンバーの一員として、グループを助け、癒し、重要な存在となっていったそうです。そして、遠征後半になり、食料が尽きてくると、最後は食料となり、グループへ貢献するという役割りだったようです。 遠征後半、それまでの活動の疲労の蓄積、緊張感・ストレスの高い活動の連続、新鮮味のなくなった野外生活、特定のメンバーとの長い共同生活、衝突する要素は日に日に増加する状況での追い打ちをかける食料不足。イライラしたメンバー間での食料をめぐるトラブルは絶えず、Expedition Behaviorは危機的状況。おそらくそのころがFinal ...

Wildernessへの遠征~Paul Petzoldt part2~

WEAの創始者Paul Petzoldtのpart2です。彼については書くことが多すぎて何回続くかわかりませんが、せっかくですので、知っていることを残す意味でしばらく継続しようと思います。実際、WEA関係者以外にあまり有名な人ではないのですが、やはり冒険教育分野での貢献は絶大だと思うので、WEA関係者はプライドを持ってポールについて語りついでいきましょう! たくさんの貢献がありますが、私個人が思う一番の貢献は、イギリスから入ってきたOutward Bound(OB)をアメリカのwildernessという地を活用した遠征(Expedition)という形態で展開したことだと思います。1962年にコロラドでJosh Minerらが始めたOBプログラムで初代チーフインストラクターを務めたようですが、イギリスでは自然環境は活用されていましたが、あまりwildernessではなく、また遠征というより施設を利用した実施が中心だったと言われています。それがどのようにwilderness expeditionにて展開されるようになったかは、知られていません。私はコロラドのOBにて3シーズンインストラクターをしましたが、今は閉鎖されてしまった歴史的に重要な2つ(MarbleとSilverton)と、現在も中心的な大規模ベース(Leadville)という3つの支部にてそれぞれのシーズンを過ごせたことは非常に幸運でした。その中の一つ、最も古いMarbleのベースが閉められる最後の年に数週間過ごさせてもらい、その歴史を体感できたことは印象深い体験です。Marbleベースまわりのコースロケーションには、Walshや、Golin(プロセスモデルで有名ですね!)、Tap Taply(ソロを始めた人?)など有名な初期のインストラクターの名前の付いたピークや地名が多くあり(地図上には載っていません)、独特のルートや宿泊地、ロックサイト、サミットルートなどそれぞれに初期のインストラクターの情熱が感じられました。当時どのようにプログラミングされていたかはわかりませんが、イギリスから伝わってきたOB理念をアメリカンロッキーのwildernessで遠征という形で展開したことは、最高にクールなアメリカンスタイルだと思います。そしてそのwilderness expeditionを冒険教育実践の中核として発展させ、指導者を育てるためにその指導法や教育思想を確立させたことこそがポールの貢献であり、Kurt Hahnが冒険教育の父なら、ポールはWilderness Educationの父であると私は勝手に授業などで話しています。そして、wilderness educationが冒険教育実践に最も効果的な方法であると信じています。実際多くの重要な冒険教育のトピックはexpeditionから生まれています。以下、expeditionに関するポールの教えや考えなどを紹介します。 Expedition Behavior(以下EB)(遠征における集団行動心得) OB,NOLS,WEAという代表的な冒険教育団体すべてにおいて重要視している教育トピック、みなさんおなじみですね。みなさんそれぞれどのように説明しますか?これについては、冒険教育の指導に関わる人であれば、一度は必ず原文(Wilderness Handbook, 1974)を読みましょう!1938年のアメリカ登山隊K2遠征の一員としてポールは参加しましたが、K2登頂は果たせませんでした。遠征隊長とポールが当時の北アメリカ人としては無酸素での最高到達点へ達しましたが、遠征隊としては登頂に失敗したことについて、登山技術や天候、運が原因ではなく、EBがなっていなかったからであると後に話していたそうです。つまり、隊員が自分勝手になり、遠征隊の集団としての機能が破綻していたからだそうです。 以下Wilderness Handbookからの引用です。 An awareness of the relationship of individual to individual, individual to group, group to individual, group to ...

Paul Petzoldt part 1.

WEAの創始者Paul Petzoldtについては、やはり取り上げたいと思います。私は、非常にラッキーなことに、ポールと共にWEA発展に貢献された方々から、ポール直伝の指導について学び、インストラクターとして育てていただきました。また、アメリカのWEAナショナルオフィス勤務時代に携わった多くの方々からもポールに関する面白いエピソードを多く教えてもらいました。伝え聞いている内容が必ずしも正確な情報ではない可能性は大いにありますが、そこも含めてレジェンドだと思いますので、そのままみなさんと共有したいと思います。 まずはみなさんご存じでしょうが、略歴から。 Paul Petzoldt 1908年アメリカアイオワ州生まれ、アイダホ州育ち。ワイオミング州のGrand Tetonへ16歳の時最年少登頂記録を樹立。ジーンズにカウボーイブーツでの登山による苦戦経験から、登山装備と技術の重要性を学び、その後時々ガイドとして働く。登山家として1938年のアメリカK2アタック隊に参加、登頂はならなかったが、隊長と共に当時の北アメリカ人としての無酸素最高地点到達者となる。K2失敗の原因を天候やスキル、運などではなくExpedition Behaviorであると後に説いた。登山家として様々な登山テクニック(rhythmic breathing, sliding middleman, energy consumption techniqueなど)を開発、アメリカ陸軍サバイバルインストラクターの役割も果たす。農業や車のセールスマンを行うもうまくいかず、1962年にコロラドに開設されたOutward Bound USAにて初代チーフインストラクターとして野外教育指導を始める。指導者の質の向上のため、1965年にワイオミング州にNational Outdoor Leadership School(NOLS)を設立。個人事業(ギアショップ)の経営と非営利団体NOLSの経営を混同させたことからの経営トラブル、さらに妻との問題から、NOLSを去る。その後未来のアメリカのWildernessのための教育の重要性を痛感し、全米各地から大学教員を呼び出し、5週間のwilderness educationを開始、大学カリキュラムとして確立し、WEA設立へとつながった。イギリスより導入されたOutward Boundによる冒険教育をWilderness環境にて展開するWilderness Educationを確立した。National Standard Programや野外救急法といったCertificationを重視する時代の流れとともにフィールドから離れがちになったが晩年まで勢力的に教育・登山活動を続け、80代後半になってやはり原点は子どもの教育であるとし、Paul Petzoldt Leadership Schoolを設立、1999年没。 こちら、2016年のWEAJカンファレンスにて実施したPPについてのワークショップにて、参加者のみなさんと一緒に作成した年表です。冒険教育者としての偉業と共に、私生活についてもなかなか波乱万丈だったようですね。若いころ、イケメンだったようです! メディアや冒険教育関連文献に紹介された彼の肩書の数々には以下の記述があります。 “浮浪者時々山岳ガイド”、 “歴史的ワル”、(Adventure Journal, 2016) US陸軍避難テクニックインストラクター世界的登山家 「最年少Grand Teton登頂」「K2登山、無酸素での最高地点到達記録」 ...

ピラミッドの頂点への挑戦

コロナ禍プラス不安定な気象状況と、出かけにくい状況が続いていますね。こうなると、ますます出かけたくなるのが心情です。近年のアウトドアブームも何かに後押しされている気がしますね。1990年代後半からのキャンプブーム、2010年ころからの山ガールやファッションとしてのアウトドアグッズやウエアの普及、メディアや雑誌・SNSでの話題など、近年多様な形でアウトドアへの追い風が吹き、“アウトドアブーム”が続いています。実際に登山やスノースポーツなどの山岳環境における活動や、海や湖、河川のマリンスポーツ、身近な自然やキャンプ場を活用したハイキングやキャンプ活動など多岐にわたりアウトドアの活動を実施する人が増加しており、実施者の年代も若者から中高年、ファミリー層と多様な年代へ活動が普及しています。 アウトドアへ人々が向かう傾向は、日本に限ったことではなく、世界各国でみられ、コロナ禍といえども、いやむしろコロナ禍だからこそ、よりアウトドアに人々が向かっている傾向がみられます。人々は何を求めてアウトドアへでかけるのでしょうか?様々な理由が考えられますが、大きな理由として、Well-beingな生活への期待があるのではないでしょうか?Well-beingとは、幸福や福祉と訳されることも多いですが、身体的・精神的・社会的に良好な状態であることを意味しています。 コロナ禍の長期化による心身の健康問題は、世界共通の問題であり、この問題に対して野外活動・野外スポーツの果たす役割はますます大きくなっています。漠然とした自然環境への期待が多くの人を自然環境へ誘っていますが、具体的にどのように安全に、効果的に自然の中で活動していくか具体的な提言と実践、検証が今後の課題であると思われます。Natureに発表されたWhiteら(2019)の論文によると、イギリスでの2万人近い人を対象に実施された大規模調査の結果、性別や年齢、人種、社会的地位や居住地などの違いを超えて共通した結果として、1週間で少なくとも120分の時間を自然環境の中で過ごすことが、主観的な健康状態と主観的なWell-being両方において有意に良い結果を示していることが報告されています。 自然体験と健康の関連について探求する動きは世界中にみられ、アメリカのフローレンス・ウイリアムの出版した“Nature Fix -自然が最高の脳を作る:最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方-”(2017)という本が、日本の森林浴やアメリカ、フィンランドなど世界中の最新研究をもとにわかりやすく説明されていることから、世界中で話題となっています。この本の中でも紹介されているTim Beatleyのネイチャーピラミッドは、健康的な食生活の指針として有名なフードピラミッドの自然バージョンとして提唱されており、そのわかりやすさや実践への取り入れやすさから、注目を浴びています。 このモデルでは、ピラミッドの底辺に日々触れ合うべき身近な自然を置いています。日常的に自然の要素と触れることで、ストレスが軽減され、集中力が高まり、疲れた心と頭が癒されると説明されています。住んでいるところが都会であっても、屋外にて自然の要素を習慣的に取り入れ、日常的に自然の要素と触れ合うことがまずは前提となります。2段目となっているのは、週に1度くらいは実際に自然環境へ足を運び、2時間程度は自然環境の中で時間を過ごし、自然を全身で感じることが重要であると述べられています。さらに3段目に上がると、実際に自然環境の中で活動を行うことで、自然の恵みを体に取り入れ、精神的な安定や充実感、免疫力の向上も期待できると説明されています。そして、ピラミッドの頂点に鎮座するのは、なかなか日常的に出かけられる場所ではないwildernessのような雄大な自然に複数日どっぷり浸かるような体験が年に1度、あるいは2年に1度は必要であると言われています。そういった場所で何日か過ごし、心に残る体験をすることは、希望や夢が明確に持てるようになる、あるいは自然への畏敬の念を持つことで、人との絆が強まり、多様な認識を持つことができるかもしれない。また、荒々しい自然との関わりから自立心の獲得や、ひどく傷ついた心が癒されるかもしれないと説明されています。Beatley(2012)は、世界各国で都会に自然的な要素を取り入れる動きがみられることや、水や緑と触れられる工夫が取り入れられるなどの工夫がみられることは望ましい変化であると述べていますが、貧困や認知や習慣といった根強い困難へ社会として取り組まなければ、根本的な解決や世界の人々の健康は訪れないと訴えています。 私たち、野外教育者が関わる部分が3段目と4段目であり、4段目はまさにWilderness体験であり、WEA指導者の出番ではありますが、ピラミッドの上2段を充実させるには、1段目、2段目のすそ野を広く広げる必要があるのでしょう。どの分野においても二極化の問題がありますが、アウトドアについても同様です。より多くの人が日常的に自然環境を取り入れ、さらに定期的により深く自然環境と関わる活動を行うライフスタイルの実践は、個人の心身の健康促進が期待されます。また、そのようなライフスタイルを多くの人が実践できる社会の形成が望まれます。コロナ禍だからこそ、より自分や他者、自然を大切に思う気持ちを意識的に活動方法に取り入れ、実践することは、より質の高いアウトドア体験が得られるだけでなく、自然や他者を大切に思う自立した個人としての成長や、健康・健全な社会の実現につながるのではないでしょうか。 今のこのアウトドアブームに乗じていかにすそ野を広げられるか、そして広げるだけでなく土台に合わせた上段を積み上げること、一人一人が自分なりな上段への展開を実現する手助けをする、今の社会により大きく充実したピラミッドを形成するには、野外教育者の活躍が大きく期待されるところではないでしょうか? WEAJ理事・びわこ成蹊スポーツ大学 林 綾子 引用文献 Beatley, T. (2012) Exploring the nature pyramid. https://www.thenatureofcities.com/2012/08/07/exploring-the-nature-pyramid/ フローレンス・ウィリアムズ:栗木さつき・森嶋マリ訳(2017)Nature Fix:自然が最高の脳を作る-最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方-.NHK出版:東京. White, M. P., Alcock, I., Grellier, J., Wheeler, B. W., Hartig, T., Warber, S. ...

Legacies of WEAJ

歴史は常にぬりかえられ、過去の歴史は時とともに忘れされていくのが宿命です。でも、そんな歴史でも未来のために忘れてはいけいない人・できごともあります。 WEAJでは、その歴史や発展に大きく影響を及ぼした、偉人たちをいつまでも私たちの心に残し、後人たちに伝えていくことを目指し、「アウトスタンディング・アウトドアエデュケーター賞」を設け、表彰してきました。 今回は、これまで同賞を受賞した、WEAJのレガシーたちをご紹介います。このレジェンドたちのおかげで今の私たちがあるのです。 目次2013年受賞 クリス・キャッシェル2014年受賞 リッキー・ハロー2015年受賞 マーク・ワグスタッフ2016年受賞 飯田 稔2018年受賞 ケリー・マクマーハン 2013年受賞 クリスティン・キャッシェル WEAJの誕生に彼女なくしては語れません。まさに「WEAJの母」といっても過言ではない、元オクラホマ州立大学教授のクリスティン・キャッシェル、通称クリスです。 彼女と、WEAJ創設者岡村との出会いは、1998年にさかのぼります。Coalition for Education of the Outdoor(CEO)というアメリカの野外のトップリサーチャーが集う研究集会で、右も左もわからぬ当時博士課程学生だった岡村を、学会期間中終始気にかけてくれていたのが、彼女でした。 それを機に、二人は交流を深め、岡村は日本にはないWEAの洗練された指導者育成システムを知り、共にWEA Japan設立の夢を語るようになりました。 2002年には、岡村が着任した奈良教育大学のプロジェクトで、愛弟子のマーク・ワグスタッフと共に来日し、WEAのカリキュラム、LNT、野外救急法など、当時の日本には目から鱗のテクニックを披露してくれました。 そして、2003年、とうとう夢への第一歩となった、日米学生合同のWEAアウトドアリーダーコースが、WEA発祥の地、ワイオミング州グランドティトンで、彼女の指導のもと開催されました。 2004年、クリスは再び来日し、長野県戸隠にて、5日間のWEAショートコースを開催し、ここに、現WEA理事のジェイ・ポストも学生として来日し、その後WEAJを末長く支えてくれるメンバーとなりました。 WEAJ設立の夢は一旦ここで足踏みをすることなります。というのも連続3週間、2年に分けても最低連続2週間という野外実習が、日本の大学教育はおろか、民間団体でも極めて困難なことが明白だったからです。 ところが、2009年に40年間続いた18ポイントカリキュラムから、現在の6+1コンポーネントに改訂され、さらに、それぞれのコンポーネントが単位制となる、柔軟なカリキュラムモデルが誕生しました。これにより、日本の教育機関にも導入の可能性ができてきました。 2012年、WEAJ設立前夜、岡村の呼びかけにより、改めて、マークワグスタッフ、スコットジョーダンと共に、WEAカリキュラムの紹介を目的とした、WEAワークショップが、長野県東京YWCA野尻キャンプで開催されました。大学、民間、学生など約40名近くの野外指導者が集まり、改めて、アメリカの最新のWEAのティーチングメソッド、野外救急法、LNTの概念にふれ、この時のメンバーが中心となり、WEAJ設立準備委員会が発足しました。 そして、2013年6月、クリスと岡村の夢はとうとう現実のものとなったのです。 CEOでの彼女ととの出会いがなければ、日本の野外は、今もなお、WEAやLNTを文献上でした知り得なかったかもしません。それはそれで独自の進化はしたかもしれませんが、アジアの潮流からはさらに大きく立ち遅れていたことでしょう。 2014年受賞 リッキー・ハロー 彼の、経歴はとてもユニークで、私たち民間に力を与えてくれるものでした。彼はアーミー出身で、退役後、野外学校を立ち上げ、社会的信頼を得るためにWEAコースに参加したのがWEAへのコミットメントのきっかけでした。その後、民間出身でありながら、卓越したビジネススキルとリーダーシップを発揮し、WEAの会長にまで上り詰めた男でした。 2009年、WEAは、それまでの18ポイントカリキュラムから、6+1コンポーネントを移行すると同時に、これを全米の大学教育における野外指導者のナショナルスタンダードにすべく、連邦教育省の認証を受けるという大きなチャレンジに挑みました。その中心となったのが、彼とその相方スタンフォード大学のクリス・ペルチャットでした。 ところが、大きなチャレンジは、必然的に大きなチェンジングも必要となり、古くからWEAを支えてきた指導者たちは、長期遠征を切り分けるような単位制、オンラインでその成果を評価するポートフォリオシステムなどを、にわかい受け入れることができず、2009年から2013年までの6+1コンポーネントの試験運用期間は、WEAにとっても試練の時代でした。 そんな中、2012年からスタートしたWEAJ設立準備委員会として、2013年2月ノースカロライナ州ブラックマウンテンで行われたWEAカンファレンスにて、日本がWEAJの設立を目指していることを初めて彼に伝えました。 これは、これまでいっさいの国際ブランチを持たなかったWEAにとっても、前代未聞の大きな出来事でした。普通の会長であれば、来年までに考えましょうというところですが、同カンファレンス中に、契約書の雛形を作成し、2013年6月設立に向け、時代は一気に加速しました。 もし、彼が当時の会長でなければ、これほどまでスピード感を持った対応、変革へのチャレンジはすぐにはできなかったと確信しています。 その後2014年東京お台場で行われたWEAJカンファレンスに招待され、東京の民間団体の若手メンバーの会合に参加し、改めて民間の若手に夢と勇気を与えてくれのでした。 そして彼は今、ビジネスをやりながら、博士号にチャレンジしています。ビジネスとは何か、博士号とは何か、アメリカで野外のプロとして生きていくための生き様は、日本の全ての野外指導者の道標となるような道を歩んでいます。 2015年受賞 マーク・ワグスタッフ クリスの愛弟子であり、2002年奈良教育大学でのWEAワークショップ、2012年東京YWCA野尻キャンプでのWEAワークショップなど、幾度となく日本にWEAを伝える伝道師として活躍してくましたが、最大の貢献は、なんといっても2013年に、彼の勤めるラドフォード大学のあるバージニア州アパラチアンマウンテンでの日米合同のWEAアウトドアリーダーコースの開催です。 2013年2月から3月にかけ、岡村は、WEAとのWEAJ設立準備、そして、WEAアウトドアリーダーコース開催のために、約1ヶ月近く、彼の大学に滞在し、その準備と作業を行っていました。 日本でWEAを実現するためには、コースを開催することができる資格であるCertificated ...

What is WEA?

2020年2月コロナパンディミックにより、WEA史上初となったオンラインカンファレンスでしたが、蓋を開けると、参加者500名と、こちらもWEAカンファレンス史上最高の参加人数に。 その記念すべきオンラインカンファレンスの冒頭の、ニューカマーのためのシンプルでわかりやすいWEAの紹介があったので、私たちもWEAのWhat?(過去), Now What?(現在), and So What?(未来)を共有しましょう。 WEAとは、野外指導(アウトドアリーダーシップ)を専門とし、職業としての持続的な発展を目指す、学生、指導者、育成者のコミュニティーです。 単に野外指導の技術の上達や、ネットワークだけでなく、職業(プロフェッショナル)として考えているということが重要です。 野外指導者の育成や、その組織の公認基準を示し、野外指導者及び育成者の体系的な養成と証明のシステムを提供しています。 指導者に対する資質の証が資格(サーティフィケーション)、コースのプロバイダーに対する資質の証が公認(アクレディテーション)です。日本だと、まだまだ言葉の整理ができていませんが、意味は使い分けていきたいですね。 1977年の設立当初はWilderness Use Education Association という名称でした。ここからも、野外を「用いた」教育というWEAの理念がわかります。 当初は野外指導者に必要な18のスキルの固まりを示した18ポイントカリキュラムを、3週間の野外遠征で習得するというのが、アメリカのナショナルスタンダードとなりました。 そして、このカリキュラムを用いて、大学で野外を専攻する学生をトレーニングして、資格を与えるというのが、長年の役割でした。 ところが、大学の専攻の多様化や、長期遠征がやりにくくなった教育環境を踏まえ、2000年前半に、18ポイントカリキュラムを見直す動きが起こりました。 それが現在の6+1コンポーネントで、18のスキルの固まりをさらに、6つの構成要素(コンポーネント)に体系化し、「判断力」をその全てを活用するスキルとして位置付けました。つまり、判断力が+1ということです。 また、18のうち、冒険活動スキル(クライミング、パドリング、スキー)と、野外救急法の2つについては、当時すでにそれぞれの専門団体が確立していたことから、WEAのコースではなく、各自が別の団体で指導内容に応じて取得することが義務付けられました。 これにより、3週間の野外遠征を行わなくても、色々な団体、コースで必要な構成要素を習得し、総合的に6+1をカバーできたか評価する、柔軟なカリキュラムが誕生しました。 これが、WEAが日本でも導入可能となった大きな要因です。 資格を与える体系は以下の通りです。 まず、野外指導者としての業界基準(ベンチマーク)となるなのが、Certified Outdoor Leader(COL)です。この資格は、6+1を用いて、野外指導ができるという資質の証です。 一方、そのCOLを育成する資質の証が、Certified Outdoor Educator(COE)です。単に、野外指導ができるというだけでなく、指導者を育てるためにコースをデザインできて、指導者の到達段階を妥当に評価する能力が必要となります。 そして、もう一つ重要なのは、そのコースを主催する機関が、それに相応しいサービスを提供できるかといった、公認(アクレディテーション)の仕組みです。 18ポイントカリキュラムでは、単一の指導者が3週間のコースで指導者養成をすれば良かったのですが、6+1では、複数のコース、複数の指導者、異なった教育機関との連携で、一人の生徒を育てるわけですから、その全てを提供できる資質があるか審査されます。 また、近年の新し資格として、COLへのトレーニング中という位置付けで、Outdoor Leader Traning Course(OLTC)というのができました。これは、これだけ構成要素をブレイクダウンしても、まだまだCOLを満たすことができない機関、コースに対して、一部の構成要素は履修できましたというお墨付きです。今後COLへのエントリーレベルとして効果的に活用されることが期待されています。 そして、WEAのゴールは、野外指導者の業界基準(スタンダード)と資格の価値を高め、野外指導もしくは野外教育が、確立され、信頼された職業となることを目指します。

OBS、NOLS、WEA、何が違うの?

WEAを日本に導入したときに、OBSとどう違うのという質問をよく受けました。確かに、いずれも大自然の中で、遠征を用いた教育活動をしていますが、実はその役割は大きく異なります。また、日本では馴染みのないNationa Outdoor Leadership School:NOLS(ノルス)という団体もあり、OBS、NOLS、WEAは、それぞれの役割を果たし互いに協働しています。 全く異なる組織ですが、アメリカではその創設者は、実はたった一人の人物。それが、NOLS 、WEAの創設者であるポール・ペッツォです。彼は、NOLSから派生したLNTにも大きな指導力を及ぼしているので、まさにアメリカの野外教育(Wilderness Education)のレジェンドですね。 OBSは、1962年に、イギリスから初めてアメリカに伝わり、まず初めにコロラドOBSが設立しました。この時の、初めての夏の28日間のコースのリードインストラクターこそ、当時、アメリカの初の登山ガイドであり、K2のアメリカ隊に参加したり、陸軍のサバイバル訓練の教官などの経歴を重ねた、ポール・ペッツォでした。 彼は、最初の夏を終えた時、アメリカでOBSが発展するためには、山岳技術と教育技術を兼ね備えた高度な指導者が必要であることを確信し、1964年にグランドティトンのあるワイオミングで、指導者養成を目的としたワイオミングOBSを立ち上げました。 ただ、青少年教育を目的とするOBSと、指導者養成は根本の目的も手法も異なりますので、このワイオミングOBSから発展したのが、NOLSでした。 NOLSは、全米に広がり大きな成功を収めましたが、あくまで民間団体の活動であり、野外教育を大学システムを含め産業化とするためには、限界がありました。 そこで、ポールは、ウェイストイリノイ大学、インディアナ大学、ペンシルヴェニア大学の野外指導者と議論を重ね、大学で、高度な野外教育の指導者を育成する仕組みとして、立ち上げたのがWilderness Education Assocition:WEAでした。 その後、 WEAは、野外指導者として必須となる18のスキル群、18ポイントカリキュラムを開発し、これが当時の全米の野外指導者のナショナル・スタンダートとなり、大学を中心にWEAは大きな広がりを見せました。 つまり、OBSは青少年教育のための冒険学校、NOLSはその指導者を育成するための野外学校、WEAはそのカリキュラムを教育機関に課程認定するための公認機関ということです。 現在、我が国には、優れた教育理念をもった野外学校がたくさんありますが、業界として考えたときに、そこに、新たな人材が入っていこないと、その業界はいつかは消滅します。また、野外指導者養成を行っている大学もいくつかありますが、そこでのトレーニングが必ずしも、現場の自然学校が求めているものとリンクしていないと、その大学教育も輩出先がないので、いずれは衰退します。そこで、アカデミと現場をつなぐ「共通言語」として、今こそ、日本の野外教育にWEAが必要であると確信しています。 6月19日に新型コロナのため、延期になってしまった第9回WEAJカンファレンスのウォームアップイベントとして、開催されたオンライイベントで、冒険教育の変遷の解説の中で、ちょうどこの話題に触れているので参考にしてください。 第9回WEAJカンファレンスのテーマは「今こそ冒険教育」です。アメリカでは1970年代に、野外教育は、冒険教育と環境教育に専門分化し、それぞれの専門性を磨き、叡智を集めるプラットフォームができました。一方日本では、1990年代に、日本環境教育フォーラム、日本環境教育学会が設立したのに対し、冒険教育に特化した専門家組織は今でもできていいません。 日本で、冒険教育に関わる団体が数多く存在する中、お互いの情報を共有し合うことなく、バラバラに動いているのはとてももったいない状況です。 「今こそ冒険教育」というテーマは、単にOBS活動が古くから行われてきた山口県開催というだけではなく、これからの日本の野外教育が、産業として舵を切るための大切なターニングポイントにしなければならないタイミングかもしれません。