Legacies of WEAJ
歴史は常にぬりかえられ、過去の歴史は時とともに忘れされていくのが宿命です。でも、そんな歴史でも未来のために忘れてはいけいない人・できごともあります。
WEAJでは、その歴史や発展に大きく影響を及ぼした、偉人たちをいつまでも私たちの心に残し、後人たちに伝えていくことを目指し、「アウトスタンディング・アウトドアエデュケーター賞」を設け、表彰してきました。
今回は、これまで同賞を受賞した、WEAJのレガシーたちをご紹介います。このレジェンドたちのおかげで今の私たちがあるのです。
目次
2013年受賞 クリス・キャッシェル
2014年受賞 リッキー・ハロー
2015年受賞 マーク・ワグスタッフ
2016年受賞 飯田 稔
2018年受賞 ケリー・マクマーハン
2013年受賞 クリスティン・キャッシェル
WEAJの誕生に彼女なくしては語れません。まさに「WEAJの母」といっても過言ではない、元オクラホマ州立大学教授のクリスティン・キャッシェル、通称クリスです。
彼女と、WEAJ創設者岡村との出会いは、1998年にさかのぼります。Coalition for Education of the Outdoor(CEO)というアメリカの野外のトップリサーチャーが集う研究集会で、右も左もわからぬ当時博士課程学生だった岡村を、学会期間中終始気にかけてくれていたのが、彼女でした。
それを機に、二人は交流を深め、岡村は日本にはないWEAの洗練された指導者育成システムを知り、共にWEA Japan設立の夢を語るようになりました。
2002年には、岡村が着任した奈良教育大学のプロジェクトで、愛弟子のマーク・ワグスタッフと共に来日し、WEAのカリキュラム、LNT、野外救急法など、当時の日本には目から鱗のテクニックを披露してくれました。
そして、2003年、とうとう夢への第一歩となった、日米学生合同のWEAアウトドアリーダーコースが、WEA発祥の地、ワイオミング州グランドティトンで、彼女の指導のもと開催されました。
2004年、クリスは再び来日し、長野県戸隠にて、5日間のWEAショートコースを開催し、ここに、現WEA理事のジェイ・ポストも学生として来日し、その後WEAJを末長く支えてくれるメンバーとなりました。
WEAJ設立の夢は一旦ここで足踏みをすることなります。というのも連続3週間、2年に分けても最低連続2週間という野外実習が、日本の大学教育はおろか、民間団体でも極めて困難なことが明白だったからです。
ところが、2009年に40年間続いた18ポイントカリキュラムから、現在の6+1コンポーネントに改訂され、さらに、それぞれのコンポーネントが単位制となる、柔軟なカリキュラムモデルが誕生しました。これにより、日本の教育機関にも導入の可能性ができてきました。
2012年、WEAJ設立前夜、岡村の呼びかけにより、改めて、マークワグスタッフ、スコットジョーダンと共に、WEAカリキュラムの紹介を目的とした、WEAワークショップが、長野県東京YWCA野尻キャンプで開催されました。大学、民間、学生など約40名近くの野外指導者が集まり、改めて、アメリカの最新のWEAのティーチングメソッド、野外救急法、LNTの概念にふれ、この時のメンバーが中心となり、WEAJ設立準備委員会が発足しました。
そして、2013年6月、クリスと岡村の夢はとうとう現実のものとなったのです。
CEOでの彼女ととの出会いがなければ、日本の野外は、今もなお、WEAやLNTを文献上でした知り得なかったかもしません。それはそれで独自の進化はしたかもしれませんが、アジアの潮流からはさらに大きく立ち遅れていたことでしょう。
2014年受賞 リッキー・ハロー
彼の、経歴はとてもユニークで、私たち民間に力を与えてくれるものでした。彼はアーミー出身で、退役後、野外学校を立ち上げ、社会的信頼を得るためにWEAコースに参加したのがWEAへのコミットメントのきっかけでした。その後、民間出身でありながら、卓越したビジネススキルとリーダーシップを発揮し、WEAの会長にまで上り詰めた男でした。
2009年、WEAは、それまでの18ポイントカリキュラムから、6+1コンポーネントを移行すると同時に、これを全米の大学教育における野外指導者のナショナルスタンダードにすべく、連邦教育省の認証を受けるという大きなチャレンジに挑みました。その中心となったのが、彼とその相方スタンフォード大学のクリス・ペルチャットでした。
ところが、大きなチャレンジは、必然的に大きなチェンジングも必要となり、古くからWEAを支えてきた指導者たちは、長期遠征を切り分けるような単位制、オンラインでその成果を評価するポートフォリオシステムなどを、にわかい受け入れることができず、2009年から2013年までの6+1コンポーネントの試験運用期間は、WEAにとっても試練の時代でした。
そんな中、2012年からスタートしたWEAJ設立準備委員会として、2013年2月ノースカロライナ州ブラックマウンテンで行われたWEAカンファレンスにて、日本がWEAJの設立を目指していることを初めて彼に伝えました。
これは、これまでいっさいの国際ブランチを持たなかったWEAにとっても、前代未聞の大きな出来事でした。普通の会長であれば、来年までに考えましょうというところですが、同カンファレンス中に、契約書の雛形を作成し、2013年6月設立に向け、時代は一気に加速しました。
もし、彼が当時の会長でなければ、これほどまでスピード感を持った対応、変革へのチャレンジはすぐにはできなかったと確信しています。
その後2014年東京お台場で行われたWEAJカンファレンスに招待され、東京の民間団体の若手メンバーの会合に参加し、改めて民間の若手に夢と勇気を与えてくれのでした。
そして彼は今、ビジネスをやりながら、博士号にチャレンジしています。ビジネスとは何か、博士号とは何か、アメリカで野外のプロとして生きていくための生き様は、日本の全ての野外指導者の道標となるような道を歩んでいます。
2015年受賞 マーク・ワグスタッフ
クリスの愛弟子であり、2002年奈良教育大学でのWEAワークショップ、2012年東京YWCA野尻キャンプでのWEAワークショップなど、幾度となく日本にWEAを伝える伝道師として活躍してくましたが、最大の貢献は、なんといっても2013年に、彼の勤めるラドフォード大学のあるバージニア州アパラチアンマウンテンでの日米合同のWEAアウトドアリーダーコースの開催です。
2013年2月から3月にかけ、岡村は、WEAとのWEAJ設立準備、そして、WEAアウトドアリーダーコース開催のために、約1ヶ月近く、彼の大学に滞在し、その準備と作業を行っていました。
日本でWEAを実現するためには、コースを開催することができる資格であるCertificated Outdoor Leader:COEが必要となります。そのためのこのコースの主たる目的は、日本のトップ指導者たちにCOEの資格を与えることです。
この目的に賛同し、2021 現在北海道教育大学に勤める濱谷さん(はまやん)や、鎌倉女子大学の西島さん(だいすけ)が賛同してくれ、わざわざバージニア州まで、私費できてくれました。さらに、大阪体育大学の学生でありながら大杉(旧姓)夏葉さんも参加してくれ、その後大阪体育大学に素晴らしいWEAリーダーが生まれたきっかけともなりました。
2013年のWEAJ設立総会には、クリスとともに日本に駆けつけてくれて、我々にWEAの魅力と価値を存分に伝えてくれました。
また、マークは野外指導者(アウトドアリダー)の執筆も多く、日本人コースの写真が多用されるなど、アメリカに、意外な形で、日本の野外の伝統とパワーを伝えてくれました。
最後の訪日は、2015年WEAJカンファレンス福岡大会に、愛妻ジェニーとの参加となりましたが、この時次期WEAのリーダーとなるケリー・マクマーハンを帯同させ、クリスやマークが作った日本とのつながりのトーチを、新生WEAに引き継いでくれました。
2016年受賞 飯田稔
3年間続いた、海外のWEA指導者の受賞でしたが、初めて日本人が受賞することなりました。
元筑波大学野外運動研究室主任であり、その後びわこ成蹊スポーツ大学、仙台大学と歴任し、それぞれの大学野外専攻の設立に多大な功績を残し、さらに、WEAJ創設者岡村の指導教員でもあった飯田稔先生です。
彼は、1972年に、筑波大学の前身である東京教育大学の助手という出世街道でありながら、日本に彼が学ぶ野外はもうないと確信し、当時のアメリカの最高峰の研究者、ペンシルベニア州立大学のベティー・バンダー・スミッセンのもと、博士号の取得にチャレンジしました。
その後、彼が日本に戻ってからは、みなさんご存知の通り、筑波大学野外運動研究室で、今日の大学野外教員のほとんどを輩出したり、日本野外教育学会の設立するなど、日本の野外教育を作り上げた人物です。
そして、彼のWEAJへの最大の貢献は、彼が大学教育の傍、いや彼の目指す大学教育を実現するために設立した、幼少年キャンプ研究会の実践です。
彼が留学した、1972年から1976年は、アメリカの環境教育と冒険教育の黄金時代でした。彼がトレーニングを受けた、ペンシルベニア州立大学には、伝統的な組織キャンプであるシルバークリークという組織キャンプでトレーニングを積みましたが、彼の中央大学時代のワンゲル経験や、アメリカの最新の環境教育の考えを導入し、当時の日本では斬新な、冒険的な野外遠征を取り入れた組織キャンプを開発しました。
彼の思想は、彼のアメリカでの経験と、登山家としての信念のハイブリッドでしたが、そのオリジナルの哲学は、アメリカで長年培われたウィルダネス教育の概念をドンピシャリだったのです。
その結果、彼の門下生は、単にキャンプ場におさまるだけの組織キャンプだけではなく、よりアウティングを導入したプログラムを好みました。その結果、その門下生、つまり彼の孫のジェネレーションで、WEAの価値を理解し、それまで暗黙知であった自らの指導哲学を、WEAにより形式知として理解し、そこにコミットする素地を作ったと言えます。
WEAJや、台湾でのカンファレンスにも何度となく足を運んでいただき、学会ではお目にかかれない気さくな姿で、WEAJメンバーや台湾の仲間たちと交流していただきました。
もし彼が、大学時代に登山をやっていなければ、もし彼が出世街道を捨ててアメリカにチャレンジしなければ、WEAはおろか、日本の野外教育も全く別物となり、WEAJ創設者の岡村も野外教育の道を選択することはなかったでしょう。
2018年受賞 ケリー・マクマーハン
今日のWEAは、彼女中心に回っていると言っても過言ではありません。彼女のカリスマ性だけではなく、その卓越したリーダーシップ、そして、先人たちを大切にするマインドは、沈みかけたWEAを見事に蘇らせました。
2013年のWEAJ設立時は、実は、形式上はWEAの団体メンバーという形で、一定のメンバーシップ料を支払い、WEAコースを修了した人は、アメリカのWEAに、個人メンバーとして登録する仕組みでした。この方法では、財産はWEAJに残らず、全てアメリカの行ってしまう仕組みです。
彼女が会長になってからは、若い新しいWEAメンバーが劇的に増え、彼女は、WEAJがあたかもはじめからあった組織のようにWEAメンバーに伝えてくれました。その結果、WEAJは、日本にあるいち団体メンバーから、元々ある対等な存在に変わったのです。
彼女は、2015年の福岡大会で初めて来日し、マークの助けもあり、WEAJの存在、ビジョン、必要性をよく理解してくれました。
その後、同盟協定締結までの数年は、WEAカンファレンスごとに常にミーティングを重ね、WEA内に国際委員会も立ち上げました。その結果、台湾、中国、インド、インドネシアなど、WEAの導入を目指す新たな国際ネットワークも生まれました。
彼女のしなやかでクリエイティブなリーダーシップは、クリスやマークが作り上げた、人と人との繋がりから、その信頼関係を基盤としつつ、システムとしのWEAの国際貢献に大きな一歩を踏み出すことができました。
このスキームから、WEAJが世界初のWEAの同盟として設立し、WEAの培ったカリキュラム、システム、教材を活用する権利を認める同盟協定の締結に至ったのも彼女のリーダーシップがあったからです。
現在は代表は退いたものの、WEAの中で最も重要な機関である資格・課程認定認定委員会の委員長を務め、歴代のトップエデュケーターとともに、WEAをしっかり支えています。
いかがでしたか?日本人だけの努力だけではなく、こんなに世界中の人たちが、日本の野外のために貢献してくれています。我々は今あることが当たり前と考えず、こういった偉人たちから渡されたトーチを引き継いでいることに気づくと、簡単にはその火を消すことはできませんね。
システムは社会とともに変化していくべきです。ただ根源的な思想や真理を崩すことなく、このトーチをもっと大きな火に、たくさんの人に伝えていきたいものですね。