ピラミッドの頂点への挑戦
コロナ禍プラス不安定な気象状況と、出かけにくい状況が続いていますね。こうなると、ますます出かけたくなるのが心情です。近年のアウトドアブームも何かに後押しされている気がしますね。1990年代後半からのキャンプブーム、2010年ころからの山ガールやファッションとしてのアウトドアグッズやウエアの普及、メディアや雑誌・SNSでの話題など、近年多様な形でアウトドアへの追い風が吹き、“アウトドアブーム”が続いています。実際に登山やスノースポーツなどの山岳環境における活動や、海や湖、河川のマリンスポーツ、身近な自然やキャンプ場を活用したハイキングやキャンプ活動など多岐にわたりアウトドアの活動を実施する人が増加しており、実施者の年代も若者から中高年、ファミリー層と多様な年代へ活動が普及しています。
アウトドアへ人々が向かう傾向は、日本に限ったことではなく、世界各国でみられ、コロナ禍といえども、いやむしろコロナ禍だからこそ、よりアウトドアに人々が向かっている傾向がみられます。人々は何を求めてアウトドアへでかけるのでしょうか?様々な理由が考えられますが、大きな理由として、Well-beingな生活への期待があるのではないでしょうか?Well-beingとは、幸福や福祉と訳されることも多いですが、身体的・精神的・社会的に良好な状態であることを意味しています。
コロナ禍の長期化による心身の健康問題は、世界共通の問題であり、この問題に対して野外活動・野外スポーツの果たす役割はますます大きくなっています。漠然とした自然環境への期待が多くの人を自然環境へ誘っていますが、具体的にどのように安全に、効果的に自然の中で活動していくか具体的な提言と実践、検証が今後の課題であると思われます。Natureに発表されたWhiteら(2019)の論文によると、イギリスでの2万人近い人を対象に実施された大規模調査の結果、性別や年齢、人種、社会的地位や居住地などの違いを超えて共通した結果として、1週間で少なくとも120分の時間を自然環境の中で過ごすことが、主観的な健康状態と主観的なWell-being両方において有意に良い結果を示していることが報告されています。
自然体験と健康の関連について探求する動きは世界中にみられ、アメリカのフローレンス・ウイリアムの出版した“Nature Fix -自然が最高の脳を作る:最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方-”(2017)という本が、日本の森林浴やアメリカ、フィンランドなど世界中の最新研究をもとにわかりやすく説明されていることから、世界中で話題となっています。この本の中でも紹介されているTim Beatleyのネイチャーピラミッドは、健康的な食生活の指針として有名なフードピラミッドの自然バージョンとして提唱されており、そのわかりやすさや実践への取り入れやすさから、注目を浴びています。
このモデルでは、ピラミッドの底辺に日々触れ合うべき身近な自然を置いています。日常的に自然の要素と触れることで、ストレスが軽減され、集中力が高まり、疲れた心と頭が癒されると説明されています。住んでいるところが都会であっても、屋外にて自然の要素を習慣的に取り入れ、日常的に自然の要素と触れ合うことがまずは前提となります。2段目となっているのは、週に1度くらいは実際に自然環境へ足を運び、2時間程度は自然環境の中で時間を過ごし、自然を全身で感じることが重要であると述べられています。さらに3段目に上がると、実際に自然環境の中で活動を行うことで、自然の恵みを体に取り入れ、精神的な安定や充実感、免疫力の向上も期待できると説明されています。そして、ピラミッドの頂点に鎮座するのは、なかなか日常的に出かけられる場所ではないwildernessのような雄大な自然に複数日どっぷり浸かるような体験が年に1度、あるいは2年に1度は必要であると言われています。そういった場所で何日か過ごし、心に残る体験をすることは、希望や夢が明確に持てるようになる、あるいは自然への畏敬の念を持つことで、人との絆が強まり、多様な認識を持つことができるかもしれない。また、荒々しい自然との関わりから自立心の獲得や、ひどく傷ついた心が癒されるかもしれないと説明されています。Beatley(2012)は、世界各国で都会に自然的な要素を取り入れる動きがみられることや、水や緑と触れられる工夫が取り入れられるなどの工夫がみられることは望ましい変化であると述べていますが、貧困や認知や習慣といった根強い困難へ社会として取り組まなければ、根本的な解決や世界の人々の健康は訪れないと訴えています。
私たち、野外教育者が関わる部分が3段目と4段目であり、4段目はまさにWilderness体験であり、WEA指導者の出番ではありますが、ピラミッドの上2段を充実させるには、1段目、2段目のすそ野を広く広げる必要があるのでしょう。どの分野においても二極化の問題がありますが、アウトドアについても同様です。より多くの人が日常的に自然環境を取り入れ、さらに定期的により深く自然環境と関わる活動を行うライフスタイルの実践は、個人の心身の健康促進が期待されます。また、そのようなライフスタイルを多くの人が実践できる社会の形成が望まれます。コロナ禍だからこそ、より自分や他者、自然を大切に思う気持ちを意識的に活動方法に取り入れ、実践することは、より質の高いアウトドア体験が得られるだけでなく、自然や他者を大切に思う自立した個人としての成長や、健康・健全な社会の実現につながるのではないでしょうか。
今のこのアウトドアブームに乗じていかにすそ野を広げられるか、そして広げるだけでなく土台に合わせた上段を積み上げること、一人一人が自分なりな上段への展開を実現する手助けをする、今の社会により大きく充実したピラミッドを形成するには、野外教育者の活躍が大きく期待されるところではないでしょうか?
WEAJ理事・びわこ成蹊スポーツ大学 林 綾子
引用文献
Beatley, T. (2012) Exploring the nature pyramid. https://www.thenatureofcities.com/2012/08/07/exploring-the-nature-pyramid/
フローレンス・ウィリアムズ:栗木さつき・森嶋マリ訳(2017)Nature Fix:自然が最高の脳を作る-最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方-.NHK出版:東京.
White, M. P., Alcock, I., Grellier, J., Wheeler, B. W., Hartig, T., Warber, S. L., & Fleming, L. E. (2019). Spending at least 120 minutes a week in nature is associated with good health and wellbeing. Scientific Reports, 9. https://doi.org/10.1038/ s41598-019-44097-3. Article 7730.